第三回「真性引き篭もり」さん

糞ブログはなぜか見た目に共通項目がある。ここなどは一番上を見ただけで糞の予感がひしひしと沸いてきて嬉しかったんですがピッタリで僕の糞ブログ眼に少し感動。ここも相当キている糞ブログだと判断。
二年前くらいのエントリーを引っ張ってみると→http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/97059/

テレビは一年以上見ていないし、読書も同じくらいご無沙汰である。
散髪は先日行ったばかりであるが、新聞紙をこそっと取ってきて部屋広げて敷き詰め、毛が飛び散りつかぬように全裸になって洋服をたたみ、ぐわっと毛を束ねて掴んでジョキっと切り落とす事を数回繰り返してから凍えながら洋服を着なおす、といった退屈なものであり、ブログに書けるようなイベントでは無い。時間があれば書きたい事はたくさんあるのだけれど、夜明けというのはあまりにも鎮痛で最も苦手な時間帯なので今は書けない。

との事でこういう大人にならないよう毎日僕はちゃんと勉強しています。目の前に真性引き篭もりの不潔な汚臭が薫ってきそうで「おえっ」てなる。クラスの何人がこういう可哀想な大人になるのだろうか、みんなとりあえずは良い奴なんだけどね。真性引き篭もりでも鏡とかモニタとかに自分の顔うつるだろ、せめて髪くらいはちゃんとしていて欲しい。興味あるのは糞ブログであって糞ヘアスタイルではないですけども。

教育実習の教師が来た。いや、教師ではなくて学生か。それは女であり、それなりの身なりをしていた。幾つだったのかは知らないけれど、同じくらいの歳になってあれは教師ではなく老いた子供だったのだなと解るようになった。

オタクっぽくて笑える。というか、正直泣けます。↑。大学で、きっと大変な思いをして教師の資格を取ってわざわざ母校にやってきて教師への階段を上っていこうという人に向かって真性引き篭もりブログでこういう事を書くというのはマルっきり滑稽ですね。
んで、このブログは読んでいくとたくさん文章を書いているしアクセスの数も半端じゃない位だし、おもしろい文章もあったりする。しかし http://sinseihikikomori.bblog.jp/entry/327056/

ブログという単語を人生だとか青春だとか、あるいはそういった類それ以外それら諸々、そのようにして、延々用いてきたものだから、たまには、その逆をやってみようと考えた。いや、決して考えてなどはいないのだけれど、当てはまる単語が「考えた」くらいしか思い浮かばなかったので、考えた事にした。そうして、考える間も無く現れたのが「ああ、人生は、なんと面白い。」である。

とこういうようなものを見るとまるで人生をかけてブログをやっているようだ。いや、ブログが多くの人達に読まれているのを知ってしまった時からブログに人格ごと取り込まれてしまったパターンか。その重さを文章にぶつけて『少しのおかしな接続や一般的な言い回しは寛容しろよお前ら、どーせ読むんだろ、俺のこのもったいぶった言い回しを咀嚼して反芻してろよ、でも本とは大して伝えたい事なんてないしちゃんと伝えたいことが書けないだけだけどなアハハ!でも、みんな読んでるんだからもちろん読んでくれるよな!?』というありがちな腑抜けさが伝わってきそうなエントリーの垂れ流しだ。そんなブログは糞だ。他の多くの糞じゃないブログは、片手間っぽくて軽くておもしろい。入試の小論文でこういう文章を書いたら2%の教授は目に留めて98%の教授は斜線を一本引くでしょう。ある意味ブログタイトルのメンタリティを如実に表しているエントリなのかな…。
 ゲームとかの話題が多すぎるのもどーなのだろう?いろいろな物事をゲームにたとえて長い文章を書いていて、それは目が覚めるほど分かりやすかったりするときもあるんですがそれってゲームにあてはめて意図して書いてるのではなくて、ゲームの情報に変換されて頭に入ってきてるんでしょうか。ゲームに思考を操作されてブログに人生を織り込まれる、こう考えると糞ブログといえど味わい深い所もあるかも!?
そういうところとはほかに、ここもデザインをなんとかかっこよくしてほしい。糞ブログを色々と探して色々と見たりしてましたがここのアクセス数はおかしなくらい高い。やっぱ引き篭もりあたりクリック量はすごいのかな。そういうたくさんの引き篭もりさんたちを楽しませるためにも、華やかなデザインとかにして欲しい。